アンドロイドは神様に恋をする

女性科学者と女性型AIのすこし不思議な対話篇。ときどきサスペンス。週一連載。

第4話(1) 世界に盗まれている ~事件編~

 久作は目頭を指で強く押さえ、ふうと長いため息をついた。そして最後にもう一度、机に置かれた付箋を一瞥した。

(ナナとは一体誰だ?)

 事件の調査を依頼されてからというもの、久作の頭はその問いに囚われ続けていた。このメモが自殺した学生によって書かれたことは筆跡鑑定によって証明されていた。もちろん警察はこの重要参考人についての捜査を早期に始めていたが、男子学生の周りにそのような人物を見つけることができずにいた。クラスメイトにも、塾やバイト先の仲間にも、親族を含めて、そのように呼ばれる人物は存在しなかったし、一様に「あの子が恋愛絡みで自殺をするなんて」といぶかしげに証言した。

 そして本日。久作の調査によって、インターネット上の交友関係にもナナなる人物を見出せないことが分かった。男子学生のSNSにログインできればすぐに答えが得られると高を括っていた久作にとって、その結果はひどく重いものだった。

 久作はいわゆるホワイトハッカーである。普段は業界最大手のインターネットセキュリティ会社で働いているが、この事件の担当として県警のサイバー犯罪対策課に出向することになったのだ。警察庁は急増するセキュリティ犯罪に対応するため、各県警に民間企業への協力要請を許可した。当然ながら事件に関わる人間は情報を口外できない決まりなのだが、捜査に関しては比較的融通が利くようになっており、その裁量は刑事とほぼ同様だ。とはいえ、久作にとっては普段の業務も悪意を持ったハッカーを取り締まることなので、刑事と自身の仕事の差はそれほど感じていなかった。敢えて異なる点を挙げるのなら、被害者がデータ情報ではなく、生の人間であるということだろうか。

 資料を両手に抱えながら地下からの階段を登りきったところで、久作は男性に呼び留められた。荷物を落とさないよう体をよじって顔だけ振り返ると、若くハツラツとした白い歯がキラリと光った。

「キューさん、お疲れさまです。荷物、オレ持ちますね」

「ああ、シナさん。助かります」と久作は頭を下げた。

「エレベーター使えばいいのに。そこの角を曲がったところですよ?」

 久作よりひと回りほど若いこの男性は、同じ自殺事件を追う刑事の一人で、名を三井椎奈といった。初めての関係者顔合わせで席が隣になったのをきっかけに、よく話すようになった。久作が半ば冗談で「ぼくも刑事みたいなあだ名が欲しいですね」と口にしたのを妙に喜び「じゃあキューさんって呼びますね!」と距離を詰めてきたときには、面白い奴だなと思った。

「いやあどうも狭いのは苦手で」

 と久作は頭をかくと、三井刑事はケラケラと笑った。その笑顔を見ながら久作は、知らないことは幸せだなと改めて思った。以前業務でエレベーター管理の調査をしていた際、ひどく大きなセキュリティホールを見つけてしまい、比較的容易にハッキングできることを知ってしまったのだ。あんな部屋に2・3時間閉じ込められるなんてまっぴらだ。潔癖症の人間が他人のグラスに触れられないように、久作もまた他人の作ったコンピュータープログラムに身を任せることができないのだ。彼にとってこの世界は生きにくい。

「ナナはどこにいるのかな」

 久作が尋ねるでもなくつぶやくと、若い刑事は顎を突き出して言った。

「だめですね、全く。今日も捜査してたんですが、やはりリアル方面ではお手上げのようです。キューさんの方はどうでした?」

「こちらも同じく辿れなかったですね。フェイスラインもツウィーティも、全部だめ。出会い系のアプリもそれらしい相手は見つからなかったな。過去のインストール履歴も洗ったんだけど、どれもまともに利用してなかったみたい。かなり孤立した生活を送っていたようですね」

 久作は今日得たログ情報を頭に描きながら、男子学生の生活を想像していた。自分に自信を持てない男の子にありがちな、被害妄想を書き連ねたツイート。思春期の迷いを象徴するようなポエム。そして出会い系に至っては、背伸びしたプロフィールがどの女の子にも見透かされていたことがうかがえた(そしていくつかのサクラアカウントがイノセントに声をかけ、数回のやりとりを経て自然消滅していた)。優秀なホワイトハッカーによって、儚い命であった学生の数年間にわたる虚しいインターネット生活がつまびらかになっただけだった。

「そうかあ・・じゃあこの線は打ち切りですかね・・。キューさん、次の手は何か考えてます?」

「それなんですが、サイラボという会社に行ってみようと思ってます」

「サイラボ・・あのガイシャが使ってたサポートAIアプリの開発会社ですよね。やはり例の宗教絡みの犯罪の線を疑ってる感じですかね」

「うーん、疑っているというほどでもないんですが、この数ヶ月のログを追うとそのアプリの利用時間が突出してるんですよね。毎月の端末起動時間の8割以上。この学生のことを一番知ってるのは、あるいはこのAIなんじゃないかなと。データ開示の依頼をしがてら、サポートAIについて話を聞きたいなと思ってます。僕はAIの専門ではないですからね」

 久作が話を終えても、三井刑事は首を傾げて返答をしなかった。概ねセキュリティ対策とAI開発の何が違うのか頭を捻っているのだろう。無理もない。大概の人間はインターネットがどのようにして情報をやりとりしているかなど知らずに生きていける。そして久作も、できれば自分もそうある方が良かったのではと思う時がある。しばらくして三井刑事は口を開いた。

「じゃあオレも同行しますね。その方がきっといろいろ便利でしょうし。とりあえず書類用意しておきますね」

 この男は本当に憎めないなと、久作は口角を上げた。そして礼を言って警察署を出た。黒いコートの外から冷気が執拗に身体に入り込もうとしている。白い息が空に溶け込んでいくのを見て、久作はふいに、こうして自分のデータ情報はいままさに世界に盗まれているのだと思った。そしてすぐに、それは疲れによる錯覚なのだと思い直した。

 

 

(つづく)

 

 


 

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